自己受容について小話
マインドフルネスの習熟と並行するのですが
自己受容とかの話です
マインドフルネスを行っていると自己洞察が進むので、否応なしに自分の心の弱い部分、嫌な部分と対面することになります
そうした時に湧き出る嫌な感情も包摂して認めていくことが自己受容につながっていきます
自己受容ができるということは、他人の心にも同じような働きがあるということへの理解にもつながってくるので、そこが慈悲の心が生まれる素地になります
自己受容は他者理解の必須項目だと個人的には思っています
自分は死生についてとても興味を持っていますが、裏返しは、自分の死への恐怖です
時々押しつぶされそうになります
マインドフルネスを続けていると、それまで隠していたそうした恐怖心も剥き出しにしてしまうので、瞑想してなくても突然、ものすごい恐怖に襲われることがあります
マインドフルネスに出会う前には一切無かったことです
一時期は「なんでこんなことを毎回思い出すのか」と思うこともありましたが
そこに耐えていく術を徐々に身につけていけということでしょうか
あとは、攻撃性か
他者批判と自分の弱さを隠そうとする行為は表裏一体
多かれ少なかれ、誰でももっている心の弱さかもしれないですね
これも自分の中で何か認めたくないことがあると働く心の仕組みでしょう
こうした攻撃性のような歓迎されない情動も、自己理解→受容を進めることで、行動化や言語化を未然に防いだり、そもそも反応しない心を身につけることができるようになるはずです
つとめて自分の心を観察できるようにしていても、激しく心を動かされるような時というのは、自分の感情と「観察者」がひっついて(あるいは観察者がどっかに引っ込んで)しまいます
早めに気付いて呼び戻すことが肝心
マインドフルネスするならば、そうして迷子になる自分も「そうだね、しかたないね」と認めていく作業も要りますかね
やっぱりマインドフルネス良いよ、って
結局何の話や、っていう