覚悟とは
子どもが熱を出しています
家のいろいろなことをいつものごとくこなし
ケアも…
あれ?いつもと変わんないじゃないの
子どもの身体の把握にいつも以上に意識を割いて
あとは通常業務
しかし
インフルと溶連菌に同時に罹るってどういうことなんやろうか
下の子も溶連菌に続いて水ぼうそうとかだったし
まぁ、細菌とウイルスは同時に罹ることもあるもんなんでしょうね、そうでしょうね
子どもらよ、たくましく生きてくれ、もう少し
夜勤を他のスタッフと取り替えっこしたので
明日も休みになってしまいました
余暇として過ごすには、ちょっと気を張ってしまいます
今晩もなにかしたい気分になれません
という、タイミングですので
久々に、最近の雑感を書き留めておきたいと思います
いつも事あるごとに「死にたい」と言う、とある鬱の超高齢イマジナリー女性患者さんの話
ある日ナースコールで看護師を呼びつけて
「自分の葬式を執り行うだけのお金があるのか、首尾よく行くのか心配」といった旨の訴えをされます
しかし実際のところ経済状況には全く問題はありません
が、すでに家族も超高齢で本人に後見人がついている
どうやらそのことで不満がある様子
しっかり傾聴した上で「ご自身のお葬式の前後どうなるのか不安なんですね、後見人の方に面会に来てもらってもう一度キチンとお話してもらいましょう」
そう提案したとき、ふとその患者さんの視線が、看護師の目をしっかり視ていることに気づきます
視られていることに気づいた看護師は言いながら動揺する自分に気付くのです
いくら御本人が言った言葉とはいえ、「葬式」「そのあと」とは死んだあとでしょう
この訴えの裏側にある御本人の「死への恐怖」はいかほどなのか
話の中で自分が了解したことと本人の訴えの本当の原因は大きく外れてはいないと思うが、その傍らには常に「死」があるはず
死期が近づくと人間は覚悟ができていくというが、自分はその程度を知らない
もちろん個人差はあるだろうから、自分が想像しているよりももっと耐性がつかないものなのかもしれない
軽々にリフレインと要約、安易な提案をしてしまったかもしれない
自分が発する言葉の意味を十分に吟味する前に、飛び込んでしまったかもしれない
と看護師は思ったのです
あとから振り返ると
自分の立場に置き換えたら、覚悟も何もないな、と
しかし
かと言って、自分に置き換えられないから共感できない、ケアできない、としてしまえば
何もできなくなりますね
変に言葉を濁したり話題を変えたりせず、本人の言葉を適切に扱えたからこそ
この若者はまともに取り合ってくれると認識してくれたからこそ
患者は看護師の目をじっと見つめて、話を聴こうとしていたのではないでしょうか
そんなイマジナリー看護師の話
まぁ…これはイマジナリーです笑
どんな準備をしても不足しかないんですよね、こういう類いの話は
そのときにならないと絶対わかり得ない事柄
彼ら彼女らと同じ気持ちになって同じ立場でとか
覚悟なんかできません
看護師は、いや、もっと広範に、医療者は
自分が不足していると分かった上で尚、そこに飛び込んで
共感しよう、諸々を解消しようとしていくんだから
せめて、その職責を担おうとする覚悟だけでも持って日頃から接したいですね
あとは、言葉は丁寧に拾うことですね
いつものことと思って聞くと、すべて上手くいきません
雑感おわり